御砂焼の由来
昔、旅に出る時、道中の無事を願って、厳島神社神殿の下の砂をお守りに持っていった。そして無事帰郷すれば旅先の砂を持ち帰り倍にして返すという「御砂返しの儀」が信仰上の習慣として行われていた。
天明・寛政の頃、この「御砂」を使って大祭用の祭器をつくったのが御砂焼の発祥といわれ、文政年間に藩主浅野斉賢公がこの「御砂」を混じえて茶器類を焼かせた、これが宮島焼のはじまりで、日本三景の一つ、宮島の名声とともに宮島焼はその真価を認められた。
初代陶斎を曾祖父、初代圭斎を祖父に、そして二代圭斎(浩二)を父に、その後継者として宮島焼の技法を学び現在に至っている。